再び手帳について(昨日の続き)
手帳を使ってて何が気持ちが良いかというと、僕の場合はこれまでの僕が生きてきたことを客観的に、あるいは他人事のように見られることが面白い。
僕は日記もつけている(僕の日記については後日、ご報告する)。でも、日記は不平、不満、喜び、感激など日々の感情が主になってしまうことが多い。僕はその他に「何を食べ、何を飲んだか」も書いている。つまり全くのプライベートの記録(といえるかどうか分からないが)であって、今の世界のうねりの中で何をしてきたか、何をしなかったかということが「手帳」を見ることによって分かる。そして、その上に立って今後どう生きていけばいいかを考える。
なんだか高尚なことをいっているようだが、実は誰でもごく普通にそのことを考えて日々を送っている。ただ僕はそれを意識しているに過ぎない。でも、それは大事だと思う。
僕は基本的に手帳の「スケジュール」欄は白い方が良い。なるべくスケジュールを入れない。若い頃は(といってもまだ若いつもりだが)「手帳をスケジュールでいっぱいにしたい」と思っていた。だが、いつの頃からか「スケジュールは白くしたい」「なるべくスケジュールは入れたくない」と思うようになった。
それはなぜなのか?
そんなに問い詰めて考えることではない。
単に「自分の時間」が欲しいだけなのだ。だから僕に手帳はそんなに予定が入ってない。
でも、仕事が終わってからは僕の時間だから、そこは平気でスケジュールを入れる。というより僕のしたいことを整理し、一緒にやってくれる仲間と時間調整をした結果が今の僕の手帳に書かれた予定なのだ。だからそこには「時間管理」などといったことは全くないし、ましてや「自分の時間がない」などということは全くない(ただ約束を忘れたときは、言い訳に使うが)。むしろ僕のやりたいこと=僕の人生を全うするためにスケジュール調整をした結果を手帳に書く。
といっても決して僕の主張を声高に言ったりごり押しすることはない。だって皆なが、意識しようとしないと関わらず僕と同じ気持ちでいるはずだから。
手帳を「時間管理」ということを中心に考えるのはもうやめた方が良いと思う。
「時間」は一日24時間もある。それを「どう使うか」が大事なのではないだろうか。
「時間」自体の移動や変更は誰も出来ない。
予定があるのに上司やお得意様から突然入ってくる仕事などによって個人個人が振り回されてはいないだろうか。「でも、上司のご下問には答えなくてはならない」「お得意さんの要求にも応えなければならない」「私が作った私の予定はどうなっちゃうの」ということにどう対応するか。そして、前に述べた「僕のやりたいこと=僕の人生を全うするためにスケジュール調整」とをどう整合性をもたせるか。それが「手帳」の使い方の極意ではないかと最近は思っている。
続きはまた後日。
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