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<title>散歩と酒と音楽と</title>
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<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-44dd.html">
<title>続々手帳ってなに？</title>
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<description>昨日、一昨日と手帳について僕の考えの一端を披露した。しかし、昨日の続きだが理想と...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日、一昨日と手帳について僕の考えの一端を披露した。しかし、昨日の続きだが理想と現実とはいつも一致するとは思えない。&lt;br /&gt;
手帳を「時間」という誰もが「管理」出来ないことを「管理する」という無謀な企てを辞めて、24時間をどう自分の生き方に使うか、ということを考えて手帳を使う、ということを僕は言った。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「でも上司の指示や、お得意様からの突然の依頼はどうするのか」という問題が残る。簡単に言ってしまえばケースバイケースで対応すればいい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;意固地になって「私の予定はこうですから出来ません」という必要はない。&lt;br /&gt;
そのケースバイケースが出来ない大人はいないと思う（たぶん）。あまり「これだ」とか、なんだとか堅苦しく考えずに表面上は上司やお得意様の言うことをやりつつ、そのことが自分の生活の知恵となり、生き方のヒントになればそれは最高なのだ（何も手帳だけでないが）。そうすれば嫌な上司の指示やあまり会いたくないお得意様のお話も生き方のヒントになる。儲け儲けだ。&lt;br /&gt;
その話を手帳に書いておく。そして後日手帳をひっくり返して読んでるときに、記入したときに感じたこととは違った新しい見方が出来る。「あっ、そうか」という具合に。それが面白い。それが手帳の醍醐味の一つだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;手帳は文具である。それ自体は目的ではない。あくまでもツールとしてしか存在意義がない。個人個人が生き生きとして、楽しくそして楽に生きるためのツールなのだ。だから使い方は勝手。それだけに使い方を間違うと「手帳に使われた人生」になってしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;手帳を使って素敵な人生を！&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>趣味</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-10-19T23:46:19+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-b586.html">
<title>再び手帳について（昨日の続き）</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-b586.html</link>
<description>手帳を使ってて何が気持ちが良いかというと、僕の場合はこれまでの僕が生きてきたこと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
手帳を使ってて何が気持ちが良いかというと、僕の場合はこれまでの僕が生きてきたことを客観的に、あるいは他人事のように見られることが面白い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕は日記もつけている（僕の日記については後日、ご報告する）。でも、日記は不平、不満、喜び、感激など日々の感情が主になってしまうことが多い。僕はその他に「何を食べ、何を飲んだか」も書いている。つまり全くのプライベートの記録（といえるかどうか分からないが）であって、今の世界のうねりの中で何をしてきたか、何をしなかったかということが「手帳」を見ることによって分かる。そして、その上に立って今後どう生きていけばいいかを考える。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;なんだか高尚なことをいっているようだが、実は誰でもごく普通にそのことを考えて日々を送っている。ただ僕はそれを意識しているに過ぎない。でも、それは大事だと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕は基本的に手帳の「スケジュール」欄は白い方が良い。なるべくスケジュールを入れない。若い頃は（といってもまだ若いつもりだが）「手帳をスケジュールでいっぱいにしたい」と思っていた。だが、いつの頃からか「スケジュールは白くしたい」「なるべくスケジュールは入れたくない」と思うようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それはなぜなのか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなに問い詰めて考えることではない。&lt;br /&gt;
単に「自分の時間」が欲しいだけなのだ。だから僕に手帳はそんなに予定が入ってない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、仕事が終わってからは僕の時間だから、そこは平気でスケジュールを入れる。というより僕のしたいことを整理し、一緒にやってくれる仲間と時間調整をした結果が今の僕の手帳に書かれた予定なのだ。だからそこには「時間管理」などといったことは全くないし、ましてや「自分の時間がない」などということは全くない（ただ約束を忘れたときは、言い訳に使うが）。むしろ僕のやりたいこと＝僕の人生を全うするためにスケジュール調整をした結果を手帳に書く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;といっても決して僕の主張を声高に言ったりごり押しすることはない。だって皆なが、意識しようとしないと関わらず僕と同じ気持ちでいるはずだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;手帳を「時間管理」ということを中心に考えるのはもうやめた方が良いと思う。&lt;br /&gt;
「時間」は一日24時間もある。それを「どう使うか」が大事なのではないだろうか。&lt;br /&gt;
「時間」自体の移動や変更は誰も出来ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;予定があるのに上司やお得意様から突然入ってくる仕事などによって個人個人が振り回されてはいないだろうか。「でも、上司のご下問には答えなくてはならない」「お得意さんの要求にも応えなければならない」「私が作った私の予定はどうなっちゃうの」ということにどう対応するか。そして、前に述べた「僕のやりたいこと＝僕の人生を全うするためにスケジュール調整」とをどう整合性をもたせるか。それが「手帳」の使い方の極意ではないかと最近は思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;続きはまた後日。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>趣味</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-10-19T02:55:23+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-2e62.html">
<title>手帳ってなに？</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-2e62.html</link>
<description>毎年のことだが、今頃になると来年の手帳をどうしようかと悩む。もっともその「悩み」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;毎年のことだが、今頃になると来年の手帳をどうしようかと悩む。もっともその「悩み」は嫌ではないのだが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕のほしい手帳は、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;①A4版がそのまま（あるいは折っても）綴じられること&lt;br /&gt;
②どこに持って行っても邪魔にならない大きさ（ポケットに入らなくても良いが）&lt;br /&gt;
③薄くて軽いこと&lt;br /&gt;
④デイリーは出来るだけ細かく、たくさん書けること（日記としての役割を持つ）&lt;br /&gt;
⑤予定は「時間の決まった事」と「その日のうちの空いてる時間に仕上げればいい事」と&lt;br /&gt;
　を分けられる自由度があること&lt;br /&gt;
⑥リフィルの入手が簡単なこと&lt;br /&gt;
　　（どこでも売っているか、インターネットで簡単に注文できるか）&lt;br /&gt;
⑦必要とする資料が綴じ込めること（ 読める範囲で 縮尺しても）&lt;br /&gt;
⑧同じ手帳のフォーマットで長く使えること&lt;br /&gt;
　　（使い勝手やパターン化の連続性、使い勝手の変更がないこと）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;など、実に相反する欲求がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこが毎年、手帳をどうするか、が悩みのネタなのだ。&lt;br /&gt;
今年（2008年）は3種類の手帳を使った。そのどれもそんなに互換性がないが、一致してるのはシステム手帳であることだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今年の前半はタイム/システム（A5版）、中頃がファイロ・ファックス（バイブルサイズ）、そして今はフランクリン・プランナー（バイブルサイズより幅が1㎝ほど広い）を使った。全く節操ないし、⑧の精神に反している。でも、それぞれの個性が出てて、使ってると面白いし、本当は「この３つをガラガラポンして一つの物にしたい」という欲求を抑えられない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから悩む・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もっともその他にMOLESKINEの手帳も使っている。この手帳には黒の堅い表紙の綴じ手帳でゴムバンドがついている。&lt;br /&gt;
僕はまず手帳の最初の行に日時と天気（これは他の手帳でも同じ）と最初に使ったときから今までのページ数を書いて、あとは時系列で気になること、面白いことを書いたり、旅先のスタンプを押したり、備忘録に使ったりと、全く無節制に使っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;システム・バインダーとの使い分けは全くないし、下手をすれば同じ事が両方の手帳に書かれている。ちなみに今は8冊目になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ使うのかというと、このMOLESKINEの手帳は書くことが快感であり、書く喜びを僕は感じるので使っている。ペンの滑り具合、最後まで使ったときの厚さ（新聞の切り抜くなども張っている）など「よく使った」と感激できる手帳なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「これ1冊にすればいいか」というとそうではない。予定を書くところがないし、一日の反省を書いてもその他の雑報に埋まってしまって再利用が難しい。そんなわけだから、使い勝手としては当面、必要だと思うことを書き記す。（この手帳とデイリーで使う手帳との連携を考えなくてはいけないのだが）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そしてそれが将来必要になるかもしれない事柄（たとえばCDのタイトルとか、パソコンがハングしたときの対処法とか、（僕の場合特に女性の）誕生日とか、気に入ったHPとか）要するに「いつか必要になる」といったことを書いておくだけで､頭の中には「書いた」という実績が残っているのでそんなに時間をつぶして探し回ることはなくなる。 また時々、この手帳を見直す。このことは僕の関心事や感覚が時系列で埋まっているので、その再利用ができるから。&lt;br /&gt;
 まあ、もっともそのことをシステム手帳でやっても良いのだが。その辺は個人の趣味の範疇であり、またその辺のいい加減さが良いと僕は思う。因みに、いい加減は人生のオアシスであり特効薬なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;MOLESKINEの手帳の話が長くなったが「何のために手帳を持つのか」がしっかりしてないと僕のようにあれこれ迷ってしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただ、僕の場合は「どんな手帳を使うかで迷う」事が好きだから良いけど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「夢を現実にする手帳」や「お金持ちになる手帳」「人生は一冊の手帳で変わる」などといったたぐいの「手帳本」が出回っている。最近の「プレジデント」でも年収2000万円の人と500万円の人との「手帳の使い方」の違いを特集していた。確かに年収2000万円の人は鷹揚ですよ。年収500万円の人は必死ですよ（僕もその一人）。「手帳をこう使えば貴方も勝ち組」みたいな前世紀の遺物のような特集をする気が知れないが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;手帳は、基本的には「私はどういう人生を送りたいか」ということを基本に使うべきではないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夜も更けてきた。酒もなんだかおいしくなってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;出来るかどうか分からないが、しばらくの間、手帳について書いてみよう。&lt;br /&gt;
ご意見、お待ちしています。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>趣味</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-10-18T02:37:20+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-4a2f.html">
<title>再建団体になった夕張を見る</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-4a2f.html</link>
<description>羽田から新千歳空港に10時半ごろついて、12時過ぎに今夜泊まるホテルのバスで夕張...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;羽田から新千歳空港に10時半ごろついて、12時過ぎに今夜泊まるホテルのバスで夕張に向かう。その間、毎日新聞の記者が夕張の現状、その歴史などかなり詳しく、しかも要点だけきわめて明快に解説・説明してくれる。現役記者でこんなに地元のことを知っている記者に会うのは久しぶりだ。まだまだ若い記者の仕事がいっぱいあるとつくずく思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それにつけても僕の地元に対する知識のなさが悲しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夕張は人がいない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;東京は多すぎる。&lt;br /&gt;
この町は閑散としている。これは夕張だけではなく地方都市の現状だ。夕張市はいわゆる「平成の大合併」には「参加」しなかった。なぜか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話は夕張から外れるが、「平成の大合併」とはいったい何だたのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東京都より広い高山市（岐阜県）が生まれた。広ければいい、という問題ではない。地方自治はそこに住んでる人のためにサービスをするのが一番大事な役割なのだ。だけど「平成の大合併」によって役場は遠くなり、一枚の書類を出すためにタクシーを使う。それも少ない年金から支出で。これが地方自治なのか。これが住む人の幸せを守ることなのか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夕張もそのたぐいの変形で再建団体になった。今から見れば「箱物行政」だの何だのとはいえる。しかし、国の政策で石炭を捨てたことによるアフターフォローが充分でないことが、今の夕張なのではないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アメリカのサブプライム破綻による株暴落が始まっている。それはたった一日で世界中を巻き込んだ。この破綻はまさに夕張と日本政府との関係と同じである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2日目の5日、JCJの会員が発言したことは正鵠だ。&lt;br /&gt;
「夕張は今の日本の行く先を暗示している。だから夕張が自立することは日本が自立することだ」&lt;br /&gt;
この発言の持つ重さはすごい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>おすすめサイト</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-10-12T01:03:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8646.html">
<title>チョー最悪だ！</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8646.html</link>
<description>　つくづく日本という「国」は国民のことをなんともおもっていない「国」だと改めて思...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　つくづく日本という「国」は国民のことをなんともおもっていない「国」だと改めて思った。それを感じたのは「国」がはじめた「後期高齢者医療制度」だ。&lt;br /&gt;
　5月9日に日本ジャーナリスト会議（JCJ）の第８回ミニシンポ「後期高齢者医療制度と私たちのくらし」の話を聞いての感想だ。講師は全日本民主医療機関連合会理事の相野谷安孝さん。実態に即した話なのでよくわかる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　まず思う事は「なんで75歳になったら後期高齢者なのか。76歳とどんだけ違うのか」という事であり、この事自体が差別である、ということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、高齢者は収入が少ない。しかも基本的に国民年金で生活している。「後期高齢者医療保険」の保険金は天引きされる。これまでは家族の扶養家族でいたので健康保険もその中で支払われていた。しかしこの４月からは、勝手に年金から健康保険料が引かれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また。自治体が主催する健康診断にも、高血圧の薬や糖尿病の治療を受けている人はこの健康診断を受けなくてもいい、というような事が行われる。本来はこのようなお年寄りの健康診断が大切なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、高齢者は今の日本でどんな地位を占めているのだろうか。極端にいうと高齢者は尊敬されていないし、むしろ邪魔もの扱いになっていないだろうか。いつからそうなったのだろう。&lt;br /&gt;
　長年、住んでいるところの環境を良くし、後世に素晴らしい世の中を残そうとしてきた高齢者。その人達をこんなむごたらしい政策で「うば捨て山」に連れて行っていいのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんな事をつらつら思って相野谷さんの話を聞いているうちに、日本の厚生労働省という役所は国民の健康増進を司る処であると思っていたが、実はそうでなく厚生労働省は高齢者は「早く死ね！」といっているという事が分かった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　つまり後世労働省は「生命を守る」のではなく社会保険庁の監督官庁らしく「金儲け」の組織なのだ。&lt;br /&gt;
　全く判断できないし、何が大事で何を守らなければならないか、を分からない福田首相のもとに生きている僕たちはチョー最悪。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-05-12T00:04:34+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_822f.html">
<title>昨年に引き続きＧＷに江ノ島に行く</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_822f.html</link>
<description>　昨年に引き続き、今年もＧＷの4月29日に江ノ島にシラス丼を食べに行く。 　朝、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　昨年に引き続き、今年もＧＷの4月29日に江ノ島にシラス丼を食べに行く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　朝、涼しかったので上着を着て行ったが、江ノ島に着いた時は上着は着ていられない暑さ。その後はこの上着が邪魔だった。&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://hayasi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/01/img_4252.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; alt=&quot;Img_4252&quot; title=&quot;Img_4252&quot; src=&quot;http://hayasi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/01/img_4252.jpg&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　上着の下は半袖のポロシャツ。これは正解。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　11時半ごろ片瀬江ノ島駅につく。そこから橋を渡って江ノ島に向かう。凄い人出だ。どこから沸いたのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　僕の目的はただ一つ。生シラスで生ビール、そして釜揚げシラス丼を食べること。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　腹が減ってないので岩屋まで歩く。潮風が心地よい。のんびりする。こんなのんびりがたまらない。釣り人が沢山いるし、家族連れも多い。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　定年を過ぎた僕が仕事をしないで家にいたら、このような「のんびり」を楽しむことができるかどうか分からない。働くことのありがたさをしみじみ思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、のんびりしたらのどが渇いた。去年も行った「江の島亭」に向かう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ここは名前と人数を書いて待っていると呼ばれるシステム。程なく呼ばれ座敷で念願の生シラスと生ビールに会う。今回は畳の広間なので相模湾を渡った風を受けることができない。&lt;br /&gt;
　飲み終わって釜揚げシラス丼を食べる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　昨年、シラス丼を「生シラス」にしたけど、どんぶりには生シラスより釜揚げシラスの方がおいしいことが分かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だけど、ビールのつまみは何といっても生シラス。あの苦さが何とも言えない大人の味だ。のんびりした後のシラス丼。至福の時だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、シラスとはいったいなんだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　シラスとはウナギ、アユ、イワシの稚魚の総称だそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だから僕が食べたシラスのうち、ウナギの稚魚がいたかもしれないのです。やっぱり蒲焼きにしてもらえばよかったな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　帰りは江ノ電で長谷観音に行く。散策路が素晴らしい。何度か長谷観音には行っているがこの散策路は初めて。花がたくさん咲いて楽しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　日のあるうちに帰宅。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　心地よい疲れが残ってお風呂に入ると極楽・ごくらく〜。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういえば江の電に「極楽寺」という駅があったなあ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-05-01T00:23:44+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a1b7.html">
<title>続・聖火リレー</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a1b7.html</link>
<description>　北京オリンピックの聖火も日本をすぎ、韓国も通って北朝鮮に入った。 　僕が不思議...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　北京オリンピックの聖火も日本をすぎ、韓国も通って北朝鮮に入った。&lt;br /&gt;
　僕が不思議というかおかしいと思うのはフランスを本部とする「国境なき記者団」の行動だ。&lt;br /&gt;
　採火の時は手錠の「五輪」旗（しかも黒）を掲げて阻止行動に出た。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　僕はこれまで「国境なき記者団」を尊敬していたし、その活動について賞賛していた。しかし今回の事でその思いは「幻想」にかわり、失望した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　記者は当事者になっては行けない、というのが鉄則である。別に「公平だ」とか「中立であるべきだ」といった迷いごとをいうつもりはない。&lt;br /&gt;
　記者は事実を客観的に観察し、何がよくて何が悪いのかを伝える事が本務と信じている。それ故、今回の「国境なき記者団」の行動は客観的に「伝える」という事でなく「国境なき記者団」自体が行動して取材対象になってしまったことが問題なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　確かに中国はチベットを含めウイグル自治区や内モンゴル自治区での迫害があるという。いわゆる漢民族の支配であり、それ以外の民族は漢民族に従うのが当然、といった風潮があるのだろう。&lt;br /&gt;
　中国を批判するのは自由だし、その意見を発表するのも自由であろう。それらを含めて、多様な意見や考えを誰でも自由に発表する事が民主主義の基本である。&lt;br /&gt;
　だからといって「記者」が直接行動に出るのはいかがなものだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>主張</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-04-28T00:49:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/brass_1160.html">
<title>久しぶりのBrass</title>
<link>http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/brass_1160.html</link>
<description>会社を30分早めに出てBlitz Brassの第４回定期演奏会に行く。高校生の定...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;会社を30分早めに出てBlitz Brassの第４回定期演奏会に行く。高校生の定期演奏会や、社会人の吹奏楽は何度か聴いたことがあるが、ほぼプロの演奏家によるブラスは初めてだ。心はワクワク。&lt;br /&gt;
　30分前に会場に着くと長蛇の列。しかも女子高校生が多い。サラリーマンはちらほら。あとは中年のご夫婦とおぼしき人達。&lt;br /&gt;
会場のホールは８割がた席は埋まっている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　19時05分、演奏が始まる。そのプレーヤーの多さにびっくり。あわててプログラムを見るとクラリネットが15人、次いでパーカッションの11人。サクソフォンが6人、トランペット6人、そして驚く事にチューバが２人、ホルンが５人もいるなど総勢64人。30人学級だと優に2クラス分だ。もちろん全員が一緒にステージに上がったかどうかは分からない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　指揮者は常任指揮者の松元宏康氏。彼は洗足学園音楽大学を卒業後「杜の都」仙台で活躍されたとの事。&lt;br /&gt;
1曲目はWilliam H. Hillの「セント・アンソニー・ヴァリエーションズ」。５つの楽章から成っている。&lt;br /&gt;
　現代音楽なのだろうか。音がやたらと大きい。パーカッションが強く、それに負けじと金管楽器隊が頑張っている。僕にはさっぱり分からない。「こりゃ駄目だ」と思いつつも「最後までとりあえず聴いてみるか」と思う。しかしレベルの高さはすごい。15人のクラリネットが1人で演奏しているがごとくに聴こえる。並じゃない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　2曲めはAlfred Reedの「アルメニアン・ダンス・パート１」軽快だが、それでも重たい。今ひとつノレない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　3曲目はClaud T Smithの「フェスティバル・ヴァリエーションズ」。聴いていたけどあまり記憶にない。１曲目の衝撃がまだ尾を引いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そして15分の休憩後、世界初演の八木澤教司作曲の「アルルカンの謝肉祭」。「これもまた訳の分からない現代音楽だろう」と思っていたが、確かに「現代音楽」ではある。だけど聴いていると心地よい。分かりやすい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音楽の「分かりやすい」「分かりにくい」とは何ぞや？と問われても数学みたいに答えは一つでなく、ましてやその時の気分も左右するので何とも言いがたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　テーマが繰り返し演奏され、しかもそれが違ったパートが奏でる。聴いているうちに取り込まれてしまった。「神秘」というか「シュールリアリズム」というか、何とも不思議な感覚を覚える。気がつくと足でリズムを採っていた。&lt;br /&gt;
　演奏が終わると、多分、作曲者の八木澤氏とおぼしき人が壇上に招かれ指揮者と握手をしていた。いったいあの人は何なのか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　最後はJames Barnesの「ファンタジー・ヴァリエーションズ」。前の曲が面白かっただけに、上の空で聴いてしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もちろん、アンコール曲は演奏された。聴いた事のある曲ではあるがなんと言う曲かは忘れた。JAZZの曲をテーマにしていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　心地よい気分で帰宅。いい日だった。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-04-26T00:33:34+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hayasi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_630b.html">
<title>ちょっと遅いですが・・・</title>
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<description>　僕の反応がちょっと遅くなって恥ずかしいのですが、書いておかないといけない、とい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　僕の反応がちょっと遅くなって恥ずかしいのですが、書いておかないといけない、という思いが強いので書きました。&lt;br /&gt;
　というのも自衛隊の憲法感覚、遵法感覚です。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　先日、名古屋高等裁判所が自衛隊の「イラク派兵」について「違憲」の判決をした。これに対して航空自衛隊の最高幹部が「関係ない」とちゃかした発言をした。まさに自衛隊が誰を守っているのかが明らかになった瞬間である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そもそも憲法は「国民が政府の行動や政策に規制をかける」ものであって、決して「政府や国が国民に押し付けるもの」ではない。国が国民におしつける規則は「法律」であって、決して「憲法」ではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、先の最高幹部の「関係ない」発言は、憲法そのものを無視し、もっといえば否定し「軍事優先」という戦前・戦中（もちろん太平洋戦争時のこと）と同じようになりたい、という軍人本来の感覚の現れである。戦後生まれの石波防衛相が「軍事おたく」なのは知られているが、自衛隊の最高指導者である石波大臣は基本的には「軍部が国家を動かす」戦前のような日本を夢見ているのだろう。ノー天気そのものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小泉元首相が「自衛隊が行くとこは非戦闘地区だ」「どこが戦闘地区かは私は分からない」と発言した事を思い起こしてほしい。そしてその発言の矛盾を感じてほしい。&lt;br /&gt;
　そして突然その職を投げ出した無責任な安倍首相は「戦後レジュームのからの脱却」といって、戦後民主主義を否定したが、実はこのことが航空自衛隊最高幹部の発言につながる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　僕たちは現在の憲法に基本的には同意して生きている。その大きな理由は憲法第九条である事は昨今の世論調査で明らかである。そこには「戦争放棄、戦力及び交戦権の否認」がうたわれている。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　自衛隊は誰を守るのだろうか？鹿児島県でタクシー運転手を刺殺した容疑者の所属する陸上自衛隊練馬駐屯地の責任者は「国民を守る自衛隊が・・・」と言っていたが、この発言は眉唾物である事を自衛隊自信が表明している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　やすやすと国の言う事を信じていては行けませんよ。社会保険だけでなくいつの間にか日本が戦争をする国になってしまっては遅いのです。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-04-23T00:31:02+09:00</dc:date>
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<title>北京五輪・聖火リレー</title>
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<description>ギリシャで採火された北京オリンピックの聖火リレーが、各国・各地で抗議行動に出会っ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt; ギリシャで採火された北京オリンピックの聖火リレーが、各国・各地で抗議行動に出会っている。直近に中国政府のチベットに対する弾圧があったことによるが、僕は基本的なスタンスとして政治とスポーツははっきりと分けて考え、行動すべきだと考えている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;といっても、それは画一的なものではなく、「事の本質は何か」による。今回のことは、僕は中国政政策が、先進的な人権擁護団体に抗議行動を起こし、各国にいるチベット民族の怒りを買っていると思う。オリンピックの政治介入は、モスクワオリンピックのボイコットがある。僕はスポーツが政治を乗り越える力を持っていると思うし、そうでなければならないと思っている。&lt;br /&gt;
　例えばサッカー。これはボール一つあればどんな思想や政治的姿勢を持っていても、サッカーというゲームはできる。&lt;br /&gt;
　これまで中国政府は人権については全く考えていない態度をとっている様に感じるし、「国民は共産党と政府に言いなりになれ」といったような政治風土を感じる。確かに昔はそれでよかったかもしれない。だが今は人権を守る事が政府に課せられた事である。そういう日本も「老人は早く死ね」という後期高齢者医療制度をこの４月から導入したので、人権無視の中国政府と同じかもしれない。&lt;br /&gt;
　このことについては、今後しっかり考えなければならないと思っている。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>はやしゆたか</dc:creator>
<dc:date>2008-04-10T23:59:20+09:00</dc:date>
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